日本のビールの歴史から赤星

仕事から帰宅後、冷蔵庫から冷えた缶ビールを取り出し、乾いた喉を潤す最高の瞬間。飲食店では「とりあえず生ビール!」で、笑顔で乾杯!

今では私たちの暮らしに当たり前のようにあるビールですが、日本におけるビール造りのはじまりを詳しく知る機会はあまり多くありません。今回は、日本での日本人によるビール造りのはじまりを少し紐解いていきます。

日本人によるビール造りのはじまり

日本人による日本で初めてのビール造りは1876年(明治9年)まで遡ります。現在の北海道・札幌に開業された「札幌開拓使麦酒醸造所」。

日本初、日本人の手による純国産のビール造り。そこには、近代国家日本建設と北海道開拓の思い、そしてそこにいる人の麦酒作りにかける誇りがありました。当時日本政府にとって、北海道は日本の近代化を成し遂げるための壮大な実験場だったのです。

開拓使を語る時「一人のサムライ」の存在を忘れることはできません。建設事業責任者として開拓使を率いた志士の一人「村橋久成(むらはしひさなり)」。日本におけるビール文化はこの一人の青年の夢から始まりました。

1865年(慶応元年)村橋が23歳の時、留学生「薩摩スチューデント」の一員として英国へ旅立ちました。今から約150年前、鎖国下の幕末においてイギリスへの出国は「国禁」の時代。決死の覚悟でいちき串木野(鹿児島)を発ちました。

村橋久成(むらはしひさなり)

「本物のビール」との出会い

日本を発ち、香港、シンガポール、インド、エジプトを経てイギリスへ。留学生たちはイギリスで時代の最先端の生活を体験していく中、村橋は「本物のビール」と出会いました。

外国人が日本に持ちこんだビールとは全く違う金色に輝き、透き通った泡立つ不思議な酒、初めて体験し魅了されました。

当時、大英帝国イギリスは、文化や生活の進化が日本と全く違う…そのことに衝撃を受けながら「日本の近代化」を心に堅く誓い帰国しました。

北海道開拓使醸造所の誕生

村橋は北海道開拓、そして近代的な産業おこしに命を燃やし尽くすことになります。じつは、北海道・札幌に麦酒醸造所が建設されたのは村橋の決死の進言によるものです。政府は当初、東京で試験的にビールを作り成功してから北海道に移すことを考えていました。

近代化の早期アピールの意味もあった東京案に対し、醸造所建設の責任者である村橋はこう提案します。「北海道開拓こそ使命」ホップが自生する土地で、ビール大麦の栽培にも適しており原料の自給自足が可能なこと、低温で発酵させるための氷が入手しやすいことなどから気候風土がビールづくりに適しているため、醸造所は北海道に建設すべきであると。

近代化アピールではなく、日本人が自らの手で最高の「世界に誇れるビールを作る」ため本質を考えた村橋は「醸造所は北海道に作るべきである」と政府に嘆願しました。

上官に背くことは許されない時代、死を意味する、文字通り決死の覚悟での嘆願でした。その決死の嘆願は政府を動かします。

稟議書に「北」の一文字。それにより北海道開拓使醸造所が誕生することになりました。しかしそこからの苦難は想像を絶するものでした。

開拓使麦酒醸造所

開拓使麦酒醸造所

日本人による初めてのビール醸造

ビール醸造はもちろん、瓶の調達では瓶ビールのための国産の瓶などなかった時代に、外国人が持ち込んだ瓶を片っ端から買い集めたり、発酵の不調を現場から聞くと優良な酵母を調達するために山梨へ酵母の調達に出向くなど、全ては日本人自らの手でビールを作るためただそのために、寝る間を削り日本全国を駆け巡りました。そして当初の予定を大幅に遅れながらも、製造部の血のにじむ努力もあり日本初の日本人の手によるビールが完成します。

それは1877年(明治10年)の事でした。薩摩スチューデント決死の訪英から12年、村橋は35歳になっていました。

1877年10月、第一号のラベルが刷り上がり販売に向けた準備が進みます。村橋以下職員が知恵をしぼって作成した図案は、開拓使のシンボルマーク「五陵星」が描かれたラベルでした。希望と使命を胸に北海道を目指した開拓者。その道しるべとなった「北極星」。開拓者を支えたその誇りがこのラベルに詰まっています。

出来上がったそのビールの品質を政府のアドバイザーであった英国人探検家トーマス・ライト・ブラキストンはこう評しました。

「実ニ最高ノ製法ニ候」

日本のビールが外国人を唸らせた、瞬間でした。

渡航先イギリスの繁栄に衝撃を受け日本の近代化を固く誓ってから12年。村橋はついに自ら作ったビールの味を世界に認めさせました。日本人によるはじめてのビール醸造は、その後の日本国内におけるビール業界発展の礎になったことは疑う余地がありません。日本のビールは味で世界に認められ、村橋がビールに託した「世界に誇れる」ものになっていきます。そして現在、日本のビール品質の高さは皆様よくご存知のとおりです。

その輝かしい歴史の先駆けとなったのは1人の若きサムライの夢、誇りだったのです。

伝統の赤星

140年以上経った今でも、当時の村橋たちの情熱に思いを馳せながら楽しめるビールがあります。サッポロラガー、またの名を「赤星」。

1877年、サッポロビールの前身・開拓使麦酒醸造所から発売されて以来受け継がれる、現存する日本で最も歴史あるビールブランド。伝統感としっかりとした味わいにより、ビール好きに愛され続けています。程よい苦みが効いた、熱処理ビールならではのしっかりとした厚みのある味わいが特長です。

ラベルの赤い星は、サッポロビールのルーツである北海道の開拓使のシンボル、北極星。いつからか「赤星」という愛称で親しまれ、飲食店の瓶ビールとして飲み継がれてきました。

サッポロラガーの存在すら知らなかった若い世代も含めて、現存する日本最古のビールブランドが今、改めて注目されています。

瓶ビールの魅力

今では家庭でのビール消費の主役は缶ビールで、食卓で瓶ビールを見ることは稀になりました。瓶ビールの主役は飲食店です。
気の合う仲間と、互いにグラスに注ぎ合い、同じ液体で喉を潤し心を共にする。日本ならではのビール文化です。

一方、新しい生活様式が求められる昨今、赤星は、手酌のスタイルもまた似合います。右手に「赤星」、左手にグラス。
瓶とグラスがふれあう心地よい音。グラスに気持ちよく流れ込むビール。注ぐ時間が、そのひと手間が、赤星をぐっと美味しくします。

今宵もどこかで「乾杯!」の側には赤星があります。

この記事を書いた人

りょ

前職は旅行代理店で法人営業を担当していたものの、食とお酒が大好きでビールメーカーへ転職。 福岡、札幌勤務を経て2020年春より東京担当。
ビールにあうと思う最高のお供は「からあげ」。 雪降る極寒の北海道で、熱々のザンギを頬張りながら冷たいビールを流し込む時が至極の瞬間です。

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